自己紹介に代えて

うぶごえというサイトでクラウドファンディングをやります。

ページの「最後に」でおそらく人生初の自己紹介文を書いたので、このウェブサイト最初のブログ投稿として転載します。


なんだかんだで20年以上音楽をつくり続けてきました。

中学生の時、ロクに弾けもしないのに無謀にもカナダの高級ホテルのロビーに置いてあるピアノを勝手に弾いたり、

高校生の時、今思えば相当痛いオリジナル曲を文化祭でドヤ顔で披露したり、

大学生の時、見よう見真似でターンテーブルやサンプラーを弄って現れたプアな音の断片を「抽象的」と自分に都合の良い解釈を施し元々過剰な自意識をさらに肥大させたり、

そんなこんなの20代半ば、当時自分が一番好きだったレコードレーベルから自分のグループのアルバムをリリース出来ることになり、3枚のアルバムと1枚のシングルをリリース。その後いわゆる「メジャーレーベル」avexと専属契約を結び、世間で言うところの「プロ」ミュージシャンとして、その後avexを離れ今に至るまで、音楽を生業にしてきました。

ラッキーだったと思います。

作詞作曲編曲、プロデュース、歌、演奏、プログラミングやミックス、僕がなす事どれも一般的な音楽の「プロ」の水準を下回っていると自覚しているからです。正確にはそう自覚できたのも近年の話。つまり僕は音楽制作の力量のみならず、自己認識能力にも欠陥があると言えそうです。

その随分心許ない自己認識能力を駆使し、それでもなぜそんな自分が15年以上音楽を生業にやってこれたのか、さすがにラッキー以外の要因があるはずだ、と考えを巡らせたところ、下手くそだからこそ、いや、下手くそ + バカ唯一の武器「勘違い力」という答えが浮かびました。

どういうことでしょうか。

自分が音楽制作のどの点においても下手くそだと自覚できたなら、そして僕の当時の性格からすると、その時点で音楽を生業にすることを諦めギターを叩き割ることでしょう(僕はギタリストではないですが。もしそうだったとしても振り上げたギターをケースに優しくしまい、中古楽器屋の暖簾をくぐりますが。)。多分殆どの人は辞めるか割り切って趣味で続けるかのどちらかでしょう。そうなっていない僕の頭の上にはきっと本人だけに見えない「バカ」のフラグが立っていたことは想像に難くありません。

2005年、「ファンファーレ」という□□□として2枚目のアルバムのレコーディング中に、プロデューサー兼エンジニアの益子樹さんの口から、苦笑と共に呆れをまとったぼやきのようなニュアンスで放たれた「三浦君はイメージ系だからな~」という言葉を今でも鮮明に覚えています。記憶力皆無に近い僕が、言われた時はその意味を全然理解できていなかったにも関わらず。

楽曲制作は、多くの場合、頭の中で思い描く楽曲のイメージやアイディアを、作詞、作曲、編曲に落とし込み、演奏や打ち込み等の行為を録音、整理、編集してステレオ音源に落とし込むという手順を踏むことになるかと思います。味や栄養を考慮したお米、おかず、デザート等を弁当箱という限られた空間に味が混ざらないように、時に味が混じりあうことを見越して、出来るだけ食欲をそそるような見栄えを目指して詰め込むことと似ているかもしれません。

例えば汁気の多いものやナマモノをラインアップに加えたり、おかず同士の匂いの相性を考慮しなかったり、そもそも弁当箱のサイズに対して明らかにキャパオーバーな量を詰め込もうとする弁当屋があるでしょうか?そんな実現可能性無視のドリーミーなイメージだけで弁当を仕立てようとするとんでもな勘違い弁当(音楽)野郎。「三浦君はイメージ系だからな~」2017年、久しぶりに益子さんと仕事をして自分の成長のなさを痛感した少し後、その言葉の意味するところをようやくそう理解しました。そりゃ呆れるわ。

もっとポジティブなケースを含め、みなさんにもこういう経験があるのではないでしょうか?ずっと心の隅に引っ掛かっていた言葉が、時間による熟成を経てある日突然「ああ、あの時のあれはこういうことだったのか!」みたいなことが。

2018年「あたしのなかのものがたり」、2020年「記憶」という2曲をイヤホンズというグループに提供しました。

前者はストーリーに沿った3つの歌詞を乗せたメロディーとバックトラックが曲の後半、一つに合体すると、新たな歌詞とメロディーとバックトラックが現われるという、こうして書いていても説明に困るような、実現困難かつ実現したところで大抵の人に「で?」なアイディアを、後者は靴音や信号機、花火や掃除機など日常の音からバックトラックやメロディーを生成し、それに沿った物語を歌詞にするというこれまた~以下略~なアイディアをそれぞれなんとか確かな手応えと共に具現化できました。

この2曲を経て「三浦君は~」の意味の位相が少しスライドしました。

現実離れしたドリーミーなイメージをついにちゃんと弁当箱に落とし込めたと実感できたその時、つまりそれが可聴化した時、ちょっと他に似たようなものが見当たらない独自な楽曲が立ち現れた(ように思えました)。勘違い野郎浮かばれる。依然として曲を聴いてくれたほとんどの人の評価は「で?」ではあれど。

2021年、縁あって立体音響と言われる多数のスピーカーを使用したSONYの360 Reality Audioというフォーマットで上記2曲を含めたイヤホンズの曲を再構築する機会があり、今まで2つのスピーカーが自ずとサイズを規定するステレオというキャンバスに音を収めることに四苦八苦していたイメージ系の三浦くんは、自作曲の音たちが360RAの広大なキャンバスでのびのびと動き出すのを目撃しました。

これを機に「三浦くんは〜」は新たな意味をまといました。「ああ、あの時のあれはこういうことだったのか!」の「こういうことだったのか!」はその言葉を放った当人の意図を離れ、しばしば受け取った人の中で幾度もその意味を更新します。それにより人は自分の過去を違った目で捉えられるようになります。

ステレオ→立体音響→表現のキャンバスが大きく広がった→あたかもステレオに詰め込んだ、圧縮したものが解凍されたかのように音がのびのびと動き出す→ていうか圧縮してたんだ→そもそも360 RAなら圧縮しなくて良いんだ→このフォーマットありきで制作できたなら大抵の人にとっての「で?」が「こういうことだったのか!」になるかも。

上記の、つまり「自分はそもそもステレオという狭い枠に縛られていたんだ」という思考は、ともすれば「俺のようなBIGな男は狭い日本の音楽シーンには合わない→海外に出るのだ!」にどこか似て、相変わらずバカっぽいのはともかく、なんにせよそのように「イメージ系」の意味は、立体音響という器と出会ったことにより晴れて、

技術やセンスの欠如→だからこそ思いつける表現がある

となったのでした。

長々と綴ってしまいましたが

いつしか僕の中で「イメージ系」という言葉が新たな意味をまとったように

音楽の意味を更新していくラボをつくりたい。

こういうことです。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

ご賛同いただけますと幸いです。

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Road to 立体音響スタジオ (その1)